歴代家元

初代家元 初代家元
信 北仙師(生真斎北仙)


 流祖 生真斎北仙師は、天保4年12月13日 福井県大野郡中荒井村 木瀬太郎右エ門の三男として生まれました。少年期は、同郡錦村、名刹浄土宗光明山善導寺の僧籍を得て仏弟子として受衣されてから、縁あって明治3年11月、貝塚市畠中、長楽寺第二十三代住職となりました。
 天性風雅の道に長じ、書を能くし、高徳大悟の僧として、長楽寺中興の祖と崇められました。特に山川草木を敬愛し、未生流の門に入り華術を学び、師範家としての資格を得ました。そして花道を以って、教化活動の量として活躍されたのであります。その奥義に達するに及び、真に華道の根源を求めつつ、さらに容真流外数流を研究したのち、終に斯道の極に達し、創流を決意しました。
 明治20年3月、長楽寺に於て創流記念の花会を開き「華道生真流」を広く天下に宣示したのであります。流祖54才の時でした。
    百 華 挿 盡
    手 一 枝
この句は、生真流家元「基本一枝之巻」の巻頭に掲げられているものでありますが、その意は”自身の感得する語”と書かれています。現在、師範代免許を与えられた人々に対して、三世家元香園先生の直筆によります「百華挿盡」の色紙が手渡される所以も、流祖が教える者への戒めとして、書かれた巻頭言であるからであります。
更に流祖は、一枝の巻の中に続けられています。”花道総裁粟田口男爵正三位定孝公の許可を得、当生真流の他流に超越することは、数巻の伝書を創立し、花道の規則によって、一切の草木の養生するは勿論、人道をも利益する大法なり”と書かれ、これには花道においては、人間社界においても人道を利益することとして、してはならないことを具体的に、定められているものであります。明治26年3月に流祖が漢文調で書かれた、生真流七箇條がそれです。愚痴(理非の見分けのつかないおろかなこと)、偏執心の棄捨(片意地をはって固執しないこと)、不用私心(自分の利益だけ考える心)等であって、明治36年には平易文でもう一度書かれています。
 流祖は傳書を十巻著しておられます。
 一、三才之巻
 一、躰用之巻
 一、一源之巻
 一、養之巻
 一、紫雲之巻
 一、秘伝集
 一、規矩之巻
 一、師範代初、中、奥之口伝集三巻
です。
 明治31年3月、流祖は66才で家元を二世善鏡師に譲って、隠退され、明治44年5月1日、79才で遷化されるまで二世家元の後見役として、流を守られました。

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二世家元 二世家元
川岸善鏡師(生真斎善鏡)


 二世家元川岸善鏡師は、明治16年4月15日、大阪府泉南郡信達村岡田浦網元、赤井為吉末子として生まれました。4才で両親に死別、7才で一乗庵に入籍、8才にして仏門に入り、10才で流祖北仙師に師事。流祖隠退にともない、若干16才にして、家元を継承しました。以来一日たりとも倦む事なく精進し、50年の久しきに亘って東奔西走し、花道の研鑽と流の興隆に励まれました。天倫の花風と、徳望は近隣にも聞えが高く、その教えを乞う者あまたでありました。文字通り生真流の基礎固めに一生を捧げられたのであります。
 善鏡師は水仙を、こよなく好み、愛され、熱心に研究されました。旧岸和田藩主岡部公より命じられて、三本の水仙を活けたところ、公をはじめ、御母堂にはいたく激賞されたと、古老がいまに伝えております。
 滋愛深く、健康であり、健脚でありました。どのような田舎でも、いとわず出向かれ教えられたと聞きます。外にあっては、現在の和泉高校をはじめ、大阪浪速女学校に奉職されて、一般子女の教育に励まれました。また日本花道諸流団体特別会員、日本華道協会大阪支部理事等の要職にもつかれました。内にあっては、流の組織の確立に全力を注がれ、大正2年12月、現在の”生真会”の前身である”花友会”を創立しましたが、あと昭和9年1月と、昭和15年1月とに、その時々の時流にあわせて流の規定も改定し、基礎を磐石のものにされました。

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三世家元 三世家元
川岸香園師(生真斎香園)


 三世家元香園師は大正2年12月15日岸和田に生まれ、幼少より二世家元に師事。初代より続く生真流の花形、理念を受け継ぐべく努力を積み重ねられ、昭和21年2月、二世家元善鏡師逝去の後 33歳の若さで三世を継承。生真流花形の図解、教本の編纂にと力を注ぎ、常に新しく広い視野で、流内外に新風を吹きこみ、華道の真髄を伝承することに生涯を捧げられました。
 他流に先駆けて夏期講座を開き、その講座も今年で61回を迎えるに至りました。
 流外では、日本いけばな芸術協会 参与
      大阪府花道家協会 顧問
      岸和田茶華道連合会 顧問
      産経いけばな女性作家展 運営委員長
等の要職を務め、昭和63年には大阪府知事より文化功労賞、平成5年には高松宮妃殿下よりいけばな褒賞杯を拝受され、又、華道の他、茶道表千家、煎茶道習軒流も修め、多くの弟子の指導に尽くされ、平成5年には表千家御家元より表千家同門会在籍50年の表彰をお受けになられました。
 生涯現役が三世の誇りでありました。こよなく花を愛し、華道を愛し、生真流を愛し、多くの方々に支えられ、最後まで鋏を肌身離さず、97歳でその生涯を遂げられました。

三世家元の作品
三世家元作品


 この蓮は、私がわが小庭の池に自分で栽培した。朝、露のある間に剪って、冷たい井戸水を注入し、まず葉の水揚げをして置く。蓮は三世の花と言われているが、現在、開花すると、既に過去の花果があり、その中に未来を象徴する子房が入っている。作品は一花五葉の挿し方であるが、初代・二世に捧げる花とした。花器・鉢型真葛焼。(香園記)















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四世家元 四世家元
川岸慎園先生(生真斎慎園)


 四世家元川岸慎園先生は、昭和46年11月18日大阪府和泉市松尾寺町、泉州松尾寺住職高岡保博の次男として生まれ、南松尾中学、清風南海高等学校、甲南大学理学部を卒業。大学時代は体育会ゴルフ部主将としても活躍されました。平成8年より常翔学園(旧大阪工業大学高等学校)の理科講師として教鞭をとるかたわら、天台宗比叡山の加行(けぎょう)を満行、現在、自坊松尾寺の副住職を兼務されています。
 平成11年に御縁あって三世香園家元の養子となり、同じく養女香と結婚。三世直々に華道茶道の指導を仰ぎ、特に格花(生花)において厳しく教授され技術を磨いてまいりました。平成21年9月三世逝去の後、38歳で四世家元を襲名。
 謙虚に生きることを最も大切に考える四世は、三世から続く古いお弟子さんからも信頼され、華道茶道の普及を担う一人として日々精進を続けられています。
 流外では、日本いけばな芸術協会会員、
      大阪府花道家協会理事、
      いけばななにわ会常任理事、
      岸和田茶華道連合会会員、
      表千家同門会会員、
      神戸ビエンナーレ実行委員等、
関西若手いけばな界の中心的な存在として活躍されています。



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